以前、夫がこんなことを言っていた。
「おかしいと思ったことを相手に伝えないと気が済まないことは俺の欠点だ」
わたしはそこが夫の長所だと思っていたのでとても驚いた。
人に注意できる夫と伝えないわたしは、なぜ違う行動をとるのだろう。
注意するかどうかは相手に興味があるかどうか
そもそもおかしい!と思う時は、その善悪に関わらず、自分の気に障ることを相手がした時である。
言動や仕草などがそれにあたる。
- 挨拶をしない
- 食事のマナーが悪い
- 言葉遣いや態度が悪い
挙げればきりがないが、こういったものが多いだろう。
マナーやルールを破っているからというだけでなく、自分の価値観では許せない行為を相手がした時にもおかしい!と感じるかもしれない。
おかしいと思ってもわたしが伝えない理由
問題はそれを相手に伝えるかどうかだ。
わたしは大体伝えない。
それはわたしが他人に対してドライだからだ。
もちろん自分の大事な人には伝える。改善してほしいから。
改善してほしい理由は、その行為のせいで人に嫌われてほしくないから。改善した方が必ず彼らのためになると思うからだ。
つまり相手のためなのだ。
でも家族や親友その他大事な人以外には必要に駆られないと注意することはない。
なにかおかしい!間違ってる!と思う行為をしていても、
「ふ~ん、こういう人なのか」
と自分から一線を引いてしまう。冷たい人間だなと思う。
でもそのことで相手を嫌うことは決してないし、それまで通り振舞う。
余計冷たい人間だと思う。冷たいというか、興味がないのかもしれない。
自分と、自分の大切な人に深くかかわるせいで、他に目を向けている余力がないのかもしれない。
夫が思う夫と、わたしが思う夫
一方夫は、思ったことは誰にでも伝える。
小学生の頃、先生に「君はみんなが怖がるような子にもビシッと注意できるけど、気の弱い子にも同じようにビシッと注意するから長所でも短所でもあるね」と言われたらしい。
わたしはそのエピソードが好きすぎる。
どこまでも真っすぐで、みんなに平等なのだ。
夫のことを好きになった理由もまた、「誰にでも平等に接する」からだった。
話を戻すが、相手におかしいと思ったことを伝えるというのは、
相手が改善できると期待しているからだ。
そもそも期待なんかしていない人には伝えようとも思わない。
夫は「改善してほしいだけじゃなく、イライラするから伝えるだけのときもある」と、相変わらず短所だと言い張るが、それでも心の中でだけ思って、伝えないわたしよりはずっと親切だ。
伝えるやさしさと受け取る勇気
大人になればなるほど、「偉い」肩書を得るほど、人は何も言ってくれなくなる。
人にどう思われているか知る機会を失い、改善することもできず、凝り固まった人格になっていくのだ。
もちろんそれは悪いことだけじゃない。
いわゆる「個性」は大事だし、”みんな違ってみんないい” なのは間違いない。
全員が同じようにルールや規律を守る生真面目すぎる世界なら、そもそもルールなんていらないし、確かになんだか気持ち悪い。
でも、それでも、自分におかしいよ!と教えてくれる人はとても貴重だ。
そして、それをきちんと受け取る勇気はもっと貴重だ。
当然、自分を傷つけるための言葉は一切受け止める必要はない。
わたしがそうであるように、
「ふ~ん、そういう人なんだ」と受け流してほしい。
その代わりに、もっと自分の大切な人の言葉を受け止めてほしい。
もっと素敵な自分になってもっと大事な人を大事にできる自分になれるように。